今頃になってから気づいたけど

躁と鬱の間をふらふらしながら、音楽聴いたり読書したりアニメ見たり。

もうすぐだなぁ

もうすぐフジロックだなぁ。今年も無事に参加できることに感謝。思えば去年、祖父の危篤で早退したのも、あんなに見たかったフーファイを見せてくれたんだから、やっぱり苗場は私に優しかった。
今年はどんな人やどんなステージに出会って、どんなことを感じたり考えたりするかな。一年間の自分を総まとめ、総ざらいして、未来へ思いを馳せるために、今年も苗場に帰る。

美容院に行って髪を切ったり、可愛い服を買ったり、荷物を詰めたり、そういうちいさなことひとつひとつが、「自分が元気になった証拠」だと感じて嬉しくなる。とても些細な当たり前のことなのに、去年の今頃の自分はなにひとつまともにできなかった。夫とご飯を食べて、自然と眠くなって、夫の声を聞きながら眠って、朝早くに目が覚めて、窓を開けて夫に「おはよう」って言う。ほんとに些細な事なのに、それがこんなに幸せなんて知らなかった。陳腐な恋愛の歌詞は、ほんとは陳腐じゃなかった(でも好きにはならない)

自己責任が大好きな私は、すべての行動の結果が自己帰結する「自然」が大好き。一瞬一瞬の決断が、その後のすべてを決める。ただし、自分のだけ。疲れた、眠い、面倒、でも見たい、どうするの?自分とよく会話して、何がいいのかを考える。自分をきちんと見つめないと選択を誤るから、ことさら敏感になる。在り方も楽しみ方も、毎年変わる。全く同じような景色のはずなのに、見えるものは毎年違う。つまらないことで楽しむことを棒に振ろうとする自分に気づいて、その小ささを笑い飛ばせるようになりたい。

じんわりと楽しみになってきたよ!

8回目と13回めによるフジロック対談的なもの 1

FUJI ROCK FESTIVAL

FUJI ROCK FESTIVALとは編集

フジロック中毒夫婦による対談記事です。上手くまとめる程度の能力が欲しかった。でも楽しかったです。まだ続きます。記事中の脚注、発言、説明、意見などは全部素人の発言なので正しくない可能性があります。(特に年代)間違いを見つけたら指摘していただけると助かります。

ステータス

  • 今年で何歳ですか?

夫「34才」私「28才」

夫「17才」私「19才」

  • 去年までの通算の参加回数は?

夫「13回」私「8回」

  • 初参加はいつ?

夫「99」私「07」

  • 簡単に音楽の嗜好を教えて下さい

夫「アメリカ、ハードロック、メタル、ブルース、エアロスミス、その他」
私「GLAY、UKロックの60s~70s、青春パンク、R&B、ファンク、ブルース、その他」

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13回目と9回目によるフジトーク

夫(フジロック通算13回参加)と私(通算9回参加)による酔っぱらい対談を、後日記事にまとめてアップします。

夫→33歳、13回参加、全部5日間キャンプ、ハードロック生まれメタル育ち

私→28歳、8回参加、全部5日間キャンプ、GLAY生まれポップス育ち

共に10代でフジに初参加して、衝撃と共にリピーターとなり、そこで出会って付き合って結婚しいまも生きてるフジロック夫婦による、土曜夜の酒飲み対談です。グダグダに期待!

夏フェスブーム始まりから終わりまでとか、フジロックのハードルとか、キャンプ参加の意味とか、思い出も年も大量に背負ってる二人で語ってます。

オレンジコートの話。

フジロックの記事がホットエントリーになっているので読んでみた。今年、声高に叫ばれていた「フジロックの変化」そのひとつとなったオレンジコートの廃止。長く書くと論理が破綻するので簡潔に。

前提として私は元々オレンジコートの住人ではない。深い深い思い入れなんかも特にない。そんなフジロック中毒の人の、今年現地で感じたことのひとつと思って頂ければ。

何もなくなってただの通り道となったオレンジコート。
土曜の夜は焚き火をして、大きな火を前に数時間居座った。(夫は着火の頃にそこにいたので、その話を聞いて)

ステージがひとつなくなるというのはどれだけ大きなことかと身構えて来てみたけど、思うほどのことはなかった。それはマイナス方向に変わるんじゃないかという恐怖に対して。

何もないオレンジでも、椅子に座り思い思いに過ごす人はいて、焚き火の夜は誰かが歌い出したり、スタッフの呼び掛けで焚き木を運んだり、なんだかステージの代わりになるような空間がそこには意図せず出来上がっていて「進化する」ってこういうことなのかと感じた。

進化論で言えば海から陸に上がったとき、生物はえら呼吸が出来なくなった。
とどまらないということは、それまであった何かを失って新しい何かを得るということなんだろう。

フジロックが大きく変わろうとしてるのは今年の様々なことで感じた。
ホットエントリーの言葉を借りるのなら、「ジャンルを潰すマニア」たるフジロッカーが、その変わろうとしている運営側に抗うことで今年のオレンジのような空間へと進化するのかな、と思った。

フジロックの魅力は運営側が最高限まで意図しているわけではなく
それぞれの人にとっての「魅力」がその場所でより引き立てられているからで、その魅力を手放さず参加することであの空間が生まれるのかなと。

運営側に意図して作られたステージ(空間、立地)で感動する側から、自分たちで魅力あるステージを作る側へと変わったのかもしれない。変えさせられたのかも。

もちろんマイナス面も味わった。
あんなに混んでるヘブンは天国じゃないし、いくら最混雑年より人は減ったと言っても1ステージなくなると各所の混雑はひどくなった。

音楽的な幅のようなことで言うなら先述の記事に全く同意見で。
間口を広げても奥行きがなければ、いわゆる「フジロッカー」は世代交代できない、と思う。

都会で、生活で、ラジオやテレビ、動画サイトから垂れ流されるような音楽ではなく、
自分から手を伸ばさないと聴けないような音楽に生で出会えるというのがフジロックの魅力だと思うなぁ。レーベンなんてその最たるもののような。

それでも、もはやフジロックってただの「音楽を聴きに来る場所」ではないわけで。日本ではあまり類を見ない「アウトドア色」の強い場所。

音楽を聴く、というインドア趣味が、
フジロックに来ることでアウトドアになっていく。その過程にワクワクしたひともきっといる。そういう側面において、焚き火は効果的だったと思う。大将が朝霧jam化を狙ってるのかもね?


何が言いたいかというと焚き火来年もお願いします。

わたしはこどもだ

まだ踏ん切りがつかない。
理性ではわかってる。
行動もできる。
でもまだ気持ちの整理がつかない。
恋しい。
終演後のヘブンが恋しい。
焚き火の跡のオレンジが恋しい。
明け方のオアシスが恋しい。
来年もある確証なんてどこにあるんだ?
毎年変わっていくのに、
今年と同じフジロックは2度とないのに
悔しい。

理性ではわかってるけど
気持ちがついていかない。
泣き叫んで暴れたい。