今頃になってから気づいたけど

躁と鬱の間をふらふらしながら、音楽聴いたり読書したりアニメ見たり。

あの場所へ

夫の家から運ばれてきた大量のVHSを変換するべく始まった作業。

フジロックの過去映像を延々と見てるんですが、泣けてくる。
無職になったので、今年は行けるかわからない。
今の身分で行くのはすごく贅沢なことだと思う。
夫(フジロック歴12年?)は、ひきづってでも連れてく!と言ってくれるけど
誰かのお金に甘えて自分の遊びをするのは
私の中ではあり得ないこと。
 
音楽じゃないなぁ、と映像を見て改めて感じる。
森、土、天気、空気、屋台、格好、テント、草、厳しさ、酒、友達、知らない人との触れ合い、
ぜんぶがあそこにあって、それは私が人生で渇望してるものによく似てる。
去年、二年ぶりに参加して、
「ひさしぶりに肺いっぱいに酸素を吸った気分」と感じた。
 
若い頃(19歳から行ってる)は、
お金とか仕事とか家族とかは、
行かない理由を探してるだけに過ぎない。
行けるか行けないかじゃなくて、
行く。自分の意思で選択する。
それに伴う諸問題を解決する方法は考える。
 
って思ってたけど、
意思があったって、行けないこともあるなと、
この歳で、参加7回目で、気付き理解したよ。
 
帰りたいなぁ。