今頃になってから気づいたけど

躁と鬱の間をふらふらしながら、音楽聴いたり読書したりアニメ見たり。

肯定

自分を肯定すること

私は、自分の肯定ができません。
適応障害で上司との関係が悪化した時も、
「あの人にもいいところはある、ただ
その面を見ることができない私がいけない」と
同僚の誰もが認める悪い上司、を庇ってました。

症状がひどくなり、泣きながら通勤していた時も
「好きでやっている仕事なのだから、弱音を吐いてはいけない。甘えだ」
「仕事内容に不満がないのに、
人間関係ごときを理由にして、
ずっと夢だった仕事を手放してたまるか」
と思っていました。

母親とのソリが合わないことも
「あの人にはあの人の良さがあり、それが私と合わないだけ。
悪いのは合わせようとしない私。」
と言います。

でも、肯定できるいいところが、私にもあると教えてくれたのは
妹と夫でした。
妹は私のいいところを10個あげてくれ、反論すると黙って聞け!と一喝し、
だから自分のことクズとかいうな。と言いました。

夫は、
容姿・中身・過去共にコンプレックスだらけの私を
毎日、わかりやすい言葉で肯定してくれます。
どんな簡単な言葉でもいいんだと知りました。
「ご飯が美味しい」とか、なんでもいい。
私の価値って無いと思ってたのに、
認めてくれる人が居たんだなと感じた。
「生きてるだけでいいよ」って、こういうことなのかなと、感じた。