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今頃になってから気づいたけど

躁と鬱の間をふらふらしながら、音楽聴いたり読書したりアニメ見たり。

生まれたことと生きてること

自己満足の記録です。

私は、祖父にとって初孫でした。
祖父の撮った映像の中で、
病院の前に立つ祖母を、祖父が
「おばーちゃんになるんだぞ」
と言っていました。

難産の上の、仮死産でした。
分娩台に15時間乗って、母は私を産んでくれました。

「この子に障害が残るかどうかは、
この子が将来風邪をひくかどうかと
同じくらい、わからない」
と、医者に言われたそうです。

生まれてすぐに違う病院へ運ばれ、
母乳を祖母が母の病院から私の元へ運んでくれました。
母と対面したのは一ヶ月後でした。

二年おきに弟達が生まれ、てんやわんやの我が家で
手のかからない大人しい私は、ひとりだけ連れ出され
よく祖父母と旅行に行きました。

祖父の大きなハイエースには、
小さな保冷ボックスが付いていて
そこには私の為だけに冷えたヤクルトが入っていて、
カーテンは自動で動き、
小さな私にとってそこは魔法の空間でした。

やんちゃな弟二人で手一杯の母。家にいない父。

私は自転車に乗れるようになると
すぐに祖父の家への道を覚え、
毎週末のように泊まりに行きました。
裁縫も、編み物も、祖母から教わりました。

やがて下の妹が産まれると、祖父母はそっちにかかりきりになり
私はもう要らないんだ、と思いました。
「妹がいれば私なんて」と言ったこともあって
そのとき祖父は長々と、
いかに祖父が私を特別に愛してるか、を教えてくれました。

決して甘い人ではありませんでした。
無駄に物を買い与えることはなく、
わがままを過ぎると叱られ、
肩叩きも手伝いも当たり前にやらされ、
でも日曜大工をしている側で見ていても怒られず
いろんなことを教えてくれました。

葬儀で、孫からお別れの言葉を伝えるという場がありました。
いろんなことを考えていたし、泣くつもりはなかったのに
その場所に立って、遺影を見て、
「もうじいちゃんはいないんだ」と思った瞬間
とても辛かった。

口が悪くて、嫌味ばかりで、
優しい言葉なんて言わないじいちゃん。
でも、私は、じいちゃんに、すごく愛されてた。

お別れの言葉を述べている間、頭は真っ白でした。
ただ、これで最後だと感じていました。

「小さい頃、怖い幽霊が出てくるアニメを見て、じいちゃんに泣きついたことがありました。そしたら、じいちゃんは世界中の誰よりも何よりも強いんだから、じいちゃんのそばにいれば、怖い物なんて何もない、と言いました。

病院で、じいちゃんにその話をした時、じいちゃんは強く頷いてました。じいちゃんは、最期まで、強かったです。私を、愛してくれて、ありがとう。」

私が病院に着いた時は、はっきりしゃべることはできなかったけど、
他の家族に
「あんたの話だけはよく聞いてたし、反応してた」と言われました。
私の言葉は届いたかな。

結局、眠れなかった。