今頃になってから気づいたけど

躁と鬱の間をふらふらしながら、音楽聴いたり読書したりアニメ見たり。

初めての夢

高校時代の夢を見た。

今まで何度も見ているけど、その内容は散々で、私はもう20を過ぎて結婚しているという状態(現状)なのに、クラスメイトはみんな高校生のままで、私は高校生の時と同じようにだれとも話せなくて孤立して本を読んでネットをしてる。でも今の私はそれを打破したくて粘るけどどうにもならない、という展開がメジャー。

今朝の夢は違った。

卒業が迫った時期の高校生の私は、廊下を歩いたり階段を降りるたびにクラスメイトに出会い、にこやかに声をかけて、向こうも友達のように返事をくれる。教室に入れば友達のような存在がいて、卒業に向けての話や今後の話をする。先生ともとても仲が良くて(これは現実もだけど)底にいる私はまぎれもなく高校時代を楽しんで過ごして終わりを迎えようしてた。

ほえー一体何が影響したのやらーと考えていた。ら、

昨夜、レンタルしてきた「シャーロック シーズン2の3巻」を見ていたんだよね。そこで裁判に出席するシャーロックにワトソンが言う「知識をひけらかすのをやめて、聞かれたことだけを簡潔に、わかりやすく応える」と。後のシーンでモリアーティにも言われる「自分がいかに賢いかを誇示して、相手にも賢さを要求する」ああ、これ過去の私だったな。と思った。無意識に周りを見下す。孤独に守られてるのが心地いい。自分の思考に溺れている時間が尊い。

友達をつくるのは簡単。相手の言うことに頷き、笑い、逆らわず、自分の主張は控えめに。それだけで、学生生活を過ごすのに困らない程度の友達はできる。
でも私はそれが嫌だった。そんな薄っぺらい付き合いの相手を、友達と呼ばないと困る学生生活が目の前にあるなら、とことん困ってやる、と思った。私は私を主張することで、相手も自分を主張しやすくなると思っていた。遠慮のある関係なんていらなかった。そんなものに付き合うほどヒマじゃないと思ってた。

今はそれだけが人間関係じゃないとわかるけど、あの頃はわからなかった。悪いことだとは思わないけど。

先生のこと、テストのこと、体育祭のこと、文化祭のこと、楽しみなこと、成績のこと、嫌だったこと、クラスのこと、趣味の話、将来の話、進路の話、部活の話、私は全部ネットで繋がった画面の向こうの会ったことのない友達にしか話せなかった。クラスメイトは完全にモブだった。

部活の友達だけはまともに付き合ってたけど!(大事)

夢のなかの私は、いつも友達がそばに居て、深刻な悩みはなくて、大学見学どうする?とか、テスト勉強一緒にしない?とか、どうでもいいことを話せる人が近くにいて、笑ってて、楽しそうだった。実際にそうなれていたとしても、見た目通りじゃないだろうけど、自分から閉じこもって周りを見下してるくせに寂しくて気が狂いそうだった現実とどっちが良いのかは、やっぱりわからないな。

もう10年以上も経ってまだ学生のトラウマ引きずってるとかバカらしいなぁと思う時がないわけじゃない。でもまだ10年ちょっとだ。自分を構成する時代に経験した記憶がそんなもんで水に流せるようになるとは思えない。その上に新しい記憶を確実に築いてはいるけど、それでも。

入学式の空気、初めて教室に入った時、絶望していく時間、泣いた音楽、カッターを持った時のこと、昔からの友達が飛び降りた時の気持ち、全部鮮明に覚えてるのに、流せるはずがない。今の私の根本に巣食ってる、「なんとなく常に絶望していたい欲求」は絶望しっぱなしの三年間で植え付けられてそう簡単には消えない。

なんとなく常に絶望していたくて、なんとなく常に落ち込んでいたくて、孤独は寂しいけど気が楽で、干渉してくる相手は殺してやりたいとたまに思う、そういう傾向がある。

まだ中二病引きずってるw